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9:コペンハーゲン解釈の謎;因果と測定

前回に議論を繰り返すと、 量子力学は,
  • 2つの法則,「ボルンの量子測定」と「量子運動方程式{ハイゼンベルグ方程式とそれと同値なシュレーディンガー方程式)」

から成り立つ.すなわち、

量子力学:

  • 量子力学
      (物理学) 


    =


      
    測定
    (量子測定)

    +

        
    因果関係
    (量子運動方程式)

    +${\Huge \quad \alpha}$



    ここに、 α=


    第65話「コペンハーゲン解釈」
    コペンハーゲン解釈 
    (測定・因果関係の使い方」)

である。

量子力学が提案されたとき(1926,7年)が、「測定」と「因果関係」の結婚であった。このミクロな世界での結婚が、ドラマの始まりである。

「測定」と「因果関係」の馴れ初め


あなたが未婚なら次のことはよく思うことだろう:
将来の伴侶とは、もう既にどこかで出会っている。 たとえば、幼稚園児のころ親と遠出をしたときのあの町ですれ違ったあの少年(少女)とか


そうならば、C男(Causality;因果関係)とM子(Measurement;測定)は、量子の世界の出会い(1926,7年)の前にも、 どこかですれ違っているのだろうか?

  • C男とM子の出会いは、量子力学の中での出会い、すなわち、科学史上最大の出会い  

なのだから、
  • その経緯(=なれそめ)を過去に遡って追究したい。

明日からは、これを考えたい。




その前に、著者の問題意識について述べておく。

本ブログの問題意識:

ほとんどの物理学者が次のように思っている。

(A):  量子力学の解釈はいろいろあるが、コペンハーゲン解釈以外の解釈は亜流で取り立てて議論するほどのものではない

事実、物理学科の学生ならば、こう教育されていると思う。 そして、 著者もこの(A)に同意している。 ここで、著者の問題意識は、
  • それでは、コペンハーゲン解釈とは、何か?

である。 実は、不思議なことに、
  • 「コペンハーゲン解釈」という名前だけが一人歩きしてしまって、「コペンハーゲン解釈」の実体は誰も知らない

のだと思う。 
たとえば、最近の論文:

では、 コペンハーゲン解釈の親玉であるボーアが、コペンハーゲン解釈の奥義であるはずの「波束の収縮」について一言も述べていないと述べている。 したがって、
  • コペンハーゲン解釈などは虚構であって、「コペンハーゲン学派」だけがあった

としている。
そうならば、
  • コペンハーゲン解釈の在るべき姿を露わにしたい

というのが、我々の問題であって、 この答えが、 「言語的(コペンハーゲン)解釈(第65話「コペンハーゲン解釈」参照)」 で、すなわち、「量子言語」(「測定理論」という言語)の使い方のマニュアルである。 もしそうならば、
  • C男とM子の本当の永住の地(すなわち、 コペンハーゲン解釈の永住地)は、物理の世界ではなくて、言語の世界の中  

となる。


このページで、「コペンハーゲン解釈」という言葉を出してしまったからには、大雑把にその説明もここに付け加えておこう。 もちろん、 このような比喩的説明では不十分で、結局はこのブログすべてで説明することになるが、それでも現段階でこのような比喩的説明を見ておくことは意義がある。

「コペンハーゲン解釈」の大雑把な説明


さて、
  • 「諸科学を語る」ときに、如何なる語り方が要請か?

という問題を考えよう。 このブログ的には、「この問題こそ、プラトン以来西洋哲学(二元論的観念論)が今日まで追究し続けてきた唯一の問題で、 この最終解答が 「言語的コペンハーゲン解釈」 である」と言いたいわけである。 こんな大袈裟な言い方をする必要はないかもしれないが、 ともかく、超重要な問題であることは確実で、「言語的コペンハーゲン解釈」が本ブログのテーマとなる。 その概略を以下に説明しよう。 比喩として適切かどうか自信はないけれど、一言でザックリと言うと、
  • 映画を観たときの感想文のように語れ!!!

である。 もうすこし具体的に説明すると、


  • 私(=一人称=測定者=観客)の目線で語る。 感想文ならば、 「私(=一人称=測定者=観客)の目線」でしょう。 もちろんのことであるが、 観ていないのに、「感想文」を書いてはいけない。 
    (このブログでは、これをデカルトの「我の発見(=二元論の発見)」とした。 バークリーは「存在するとは、知覚されることである」と主張した。 このことは、神(=三人称=報道アナウンサー)の目線で語る物理学(すなわち、「映画のあらすじを述べるように語れ」)と対比すべきである。 アインシュタインは、「月は見ていなくても存在する」と主張して、「私目線」に異を唱えた。 )


  • 二つの映画を同時に観ることはできない(普通はしない)。 そうだとすれば、私(=一人称=測定者=観客)は二つの測定を同時に行うことは普通はできない。 すなわち、 「測定は一回だけ」 となる。
    (この比喩は強引すぎるかもしれないが、量子力学では粒子の位置の測定と運動量の測定を同時に行うことはできない。 これを思い出せばよい。 )


  • 映画だとすれば、私(=一人称=測定者=観客)がスクリーンの中に飛び入りすることが不可能であることは、当然である。 私が映画のストーリーを変えることはできない。 すなわち、観客は舞台に上がってはならない
    (しかし、 量子力学の研究者の一部は、射影仮説「測定したことによって現象が変化する(波動関数が収縮する)という意見」を主張するが、 これは誤りと考える。 また、コギト命題「我思う、故に我あり」もあいまいな命題である。 「我」が客席にいるのかスクリーンにいるのか(故意に)混同させて、 科学的命題を逸脱しているからである。 事実、 コギト命題が科学の中で使われたことは一度もない。  )

  • 私(=一人称=測定者=観客)には、時空は無いとする。 「科学には時制(過去、現在、未来)が無い」と言い切る。 
    (映画を何処で観たか、映画館かDVDか? いつ観たか? 昼か夜か? 昨日か一年前か? 等は問わないとする。 アウグスティヌスからベルクソンに至る「主観時間」の考察は、科学の立場からは、「時制の非存在」を言い切る見識の欠如の産物と考える。 もちろん、(落語等のような)文芸の立場からならば、「主観時間」とか「5分前世界創造説」の議論を楽しむ文化はあってもよい。 )

である。上で、「一人称小説(私目線で書く小説)」はダメ。 なぜならば、大抵の一人称小説では、「私」が登場するからである。 また、「感想文」という言葉に違和感をもつかもしれないが、これはジョン・ロックの「第二次性質」(たとえば、甘い、おいしい、美しい等)に依拠している。 このことについては、今後も議論する。
さらに、
  • 「プラトン以来西洋哲学(二元論的観念論)が今日まで追究し続けてきた唯一の問題」の部分に疑問を呈するのは当然かもしれない。
しかし、そうならば、問いかけ「二元論的観念論に、何か(量子言語以上の)成果があったの?」に答えなければならないだろう。


以上、 強引な比喩話であるが、 大学院(大学でも)の講義は、このような胡散らしい話だけで終始できれば理想だろう。 しかし、力量がないと数式だけの羅列になってしまう。 ちゃんとした話ならば本を読んだ方が、講義に出るより手っ取り早いわけで、まともな学生ならば講義に出てこないだろう。


 「諸科学とは、諸現象(という映画)を見たときの感想文である」 とは、ハチャメチャと思うかもしれないが、これが二元論的観念論(=言語的コペンハーゲン解釈)である。  


-------------
「ハチャメチャ」でも、
  • コペンハーゲン解釈(ボーア流の量子力学)には実績がある。 連戦連勝で、無敵である。

量子力学は、実績があるから、 「論より証拠」という態度を取り勝ちと思う。 本ブログでは、「なぜハチャメチャなのか?」を問い、 その解答として、「量子力学は物理学ないからである」と主張する。



コペンハゲン解釈と言語的(コペンハーゲン)解釈の違い
コペンハーゲン解釈と言語的(コペンハーゲン)解釈は対して違わないとも言えるし、まった違うとも言える。 違いは、
  • コペンハーゲン解釈は物理学で、言語的(コペンハーゲン)解釈は言語」

だけだろう。 したがって、コペンハーゲン解釈の適用範囲は物理の量子現象だけであるが、言語的コペンハーゲン解釈(量子言語)の適用範囲はほぼ科学全体である。 しかも、量子言語の主張は以下の通りである。
  • 本来は言語的コペンハーゲン解釈しかない。 これを物理学に適用しようとして、矮小化してしまったのが「いわゆるコペンハーゲン解釈」である。

 物理という足かせがあるから、「いわゆるコペンハーゲン解釈」は窮屈で奥歯に物が挟まったような主張になってしまったのである。
だから、
  • コペンハーゲン解釈がわかっている人なんて世界中に一人もいない



上のような挑発的な言い方をすると、眉唾と思うに違いない。 そうならば、検索ワード[Copenhagen interpretation]で次を検索してもらいたい。




Google








キーワード「Copenhagen interpretation]の検索で、約一千万件ぐらいがヒットすると思うが、この中で、「Linguistic Copenhagen interpretation」がトップページをとれていれば、すこしは信用してもらえるかもしれない。 もちろん、最悪でも2ページ目がとれていないと困る。 我々の主張は、最高権威は、「いわゆるコペンハーゲン解釈」ではなくて、「言語的コペンハーゲン解釈(量子言語)」である、なのだから。


科学哲学(二元論的観念論)

量子言語(=測定理論)は、統計学と量子論を合わせた程度の強力な記述力を有する言語である。 量子言語の習得には、いろいろなアプローチの方法があっていい。 このブログでは、数物には関わらず、哲学【二元論的観念論】をメインに量子言語を紹介して、西洋哲学史の本流は常に量子言語に向かって進歩してきたことを確認する。ブログとは、一旦書いてしまうと、訂正するのが億劫になるものである。 したがって、本ブログと大幅な変更があるわけではないが、現時点での正式バージョンは【Western philosophy(PDF)】を見よ。

目次

  • 0:【Home】リンク付き目次(スマホ利用者用)
  • 1:量子力学の観測・解釈問題の解決
  • 2(上):科学哲学とは? (形而上学;統計学;量子力学)
  • 2(下):世界記述(至上)主義
  • 3(上):1+1=2:発明王エジソン;形而上学
  • 3(中):論理実証主義と形而上学
  • 3(下):ケルヴィン卿の形而上学
  • 4(上): 測定理論(=量子言語); 世界記述法の分類
  • 4(中):ソーカル事件の「脱構築」
  • 4(下)論考、知の欺瞞、量子言語
  • 5:古典力学的世界観;量子力学的世界観
  • 6:科学と統計学;量子言語;
  • 7:赤い糸 : 量子力学の観測と因果関係
  • 8:運命の量子的出会い(観測と因果律)
  • 9:コペンハーゲン解釈は虚構;因果と測定
  • 10: $[$一元論、二元論$]$×$[$実在論、観念論$]$
  • 11:離別の予感(測定と因果)
  • 12:ピタゴラス(万物は数)
  • 13:パルメニデスとヘラクレイトス;運動・変化
  • 14: 科学とは何か? 運動;因果律;確率;測定
  • 15:パルメニデスの理屈っぽさ: ゼノンのパラドックス
  • 16(上):ゼノンのパラドックスは未解決問題
  • 16(補): ハジキの公式:形而上学的命題
  • 16(中):「アキレスと亀」は未解決問題
  • 16(下): ゼノンのパラドックスの必然性
  • 17(上):存在論(パルメニデス)
  • 17(下):存在とは何か?(パルメニデス)
  • 18(上):[人気No.3]哲学は進歩したか?
  • 18:無知の知:ソクラテスの詭弁
  • 19:人間は万物の尺度:プロタゴラス×ソクラテス;倫理哲学
  • 20:イデア論:プラトンの詭弁
  • 21(上):プラトンのイデアは絶対基準・測定器のこと
  • 21(下): 西洋哲学はプラトンの脚注
  • 22(上):万学の祖アリストテレス;形相,質料
  • 22(下): プラトンとアリストテレスの融合;スコラ哲学
  • 23(上):アリストテレスの目的因
  • 23(下):三段論法を信じますか? アリストテレス
  • 23(補):必要条件と十分条件
  • 24(上):アリスタルコス(古代の地動説);アルキメデス
  • 24(下):アリスタルコス:古代の地動説
  • 25(上):ユークリッド幾何学--平行線の公準
  • 25(下):言語と数学;公理主義
  • 26:エラトステネス:古代最大の測定者
  • 27:総括〈ギリシャ vs.アレクサンドリア〉
  • 28:天動説(プトレマイオス)
  • 29:古代科学の三つの集大成
  • 30:アウグスティヌスとプラトン哲学
  • 31:アウグスティヌスと時間論;告白
  • 32:十字軍:イスラム文化(アリストテレス)の流入
  • 32.5: 位取り記数法(アラビア数字;ゼロの発見)
  • 33:神の存在証明(アンセルムス);スコラ哲学
  • 34:普遍論争と「存在・実在」;スコラ哲学
  • 36:[人気No.5]オッカムの剃刀(節約の原理)
  • 37:パラダイムシフト;コペルニクスとニュートン
  • 37(中):プラトンとアリストテレス;アテナイの学堂
  • 37(下):帰納主義;イドラ;ベーコン;経験論の祖
  • 38:天動説から地動説へ
  • 39:地動説・天動説とは、何か?
  • 40:ガリレオと地動説;ピサの斜塔;裁判
  • 41:ガリレオからニュートンへ
  • 42:プリンキピアと地動説
  • 43:因果関係とは何か?
  • 44:実在的因果関係(物理学)
  • 45:認識的因果関係(ヒューム・カント)
  • 46:数学的因果関係(ピタゴラス教団)
  • 47:言語的因果関係
  • 48:我思う、 ゆえに我在り(方法序説:デカルト)
  • 49:コギト命題からデカルト図式へ
  • 49下:物心二元論・心身二元論
  • 50:オカルト図式?
  • 52:中二病(デカルトの懐疑)
  • 53:世界記述と非ユークリッド的転回
  • 54:二元論・観念論に対する誤解
  • 56:ジョン・ロック$[$人間知性論$]$タブラ・ラーサ
  • 57:イギリス経験論の祖:ジョン・ロック;第ニ次性質
  • 58:大陸合理主義:ライプニッツ; 生得説
  • 59(上):日常言語はイギリス経験論的
  • 59(下):量子言語はカント哲学的
  • 60:唯心論:バークリー;存在するとは知覚されること
  • 61:懐疑主義:ヒューム
  • 62:実在的世界記述法と言語的世界記述法
  • 63:量子力学の道具主義化
  • 64:ライプニッツ・クラーク論争; 時空とは何か?
  • 65:コペンハーゲン解釈
  • 66:原点回帰:再びパルメニデスへ
  • 67:マクタガートのパラドックス:時間論:時制
  • 68:アウグスティヌスの時間論:主観的時間
  • 70:カント:二律背反(アンチノミー)
  • 71:「我思う、ゆえに我あり」を疑う
  • 72:カントの物自体; 模写説から構成説
  • 73:コペルニクス的転回;純粋理性批判
  • 74:純粋理性批判; アプリオリな総合判断;超越論的観念論
  • 78:カント登場の必然性
  • 78(補): 功利主義;ベンサム;最大多数の最大幸福
  • 79(上): ラプラスの魔:ゼノンのパラドックス
  • 79(下): ホーキング博士の哲学批判
  • 80:カントール:集合論
  • 80(下):空集合と選択公理
  • 81:数理論理学:数学のような、哲学のような
  • 82:弁証法という諺:ヘーゲル
  • 825: プラグマティズム(実用主義)のジレンマ
  • 83:論理哲学論考;ウィトゲンシュタイン
  • 84:言語論的転回;言語哲学
  • 86: 量子力学の解釈とは何か?
  • 88:量子言語の記述力;言語ゲーム;語りえぬもの;ウィトゲンシュタイン
  • 88.5:[人気No.1]心身問題の解決
  • 89: ボーア × アインシュタインの量子力学論争
  • 90: 二つの量子力学
  • 91: 数学の三大発見
  • 92: フォン・ノイマン;量子力学
  • 93: アリストテレス、ライプニッツ、フォン・ノイマン
  • 94: 確率の歴史
  • 95:確率の哲学: 確率とは何か?
  • 96: 確率論 vs. 量子言語
  • 97: 確率論: 二元論の消去
  • 98: 主観的時間; 科学哲学論争
  • 99: フィッシャーの最尤法
  • 100: 科学哲学の大きな物語の終焉
  • 補101:測定・推定・制御の科学哲学
  • 補102:ベイズ統計・ベイズの定理
  • 補103: 確率論と統計学
  • 150:量子力学再入門: ヒルベルト空間法
  • 152:エルミート行列のスペクトラル分解:量子力学再入門
  • 154:スピン:量子力学再入門
  • 156:ハミルトニアンの量子化:量子力学速習
  • 158:同時測定と可換条件:量子力学再入門
  • 160:ド・ブロイのパラドックス:量子力学再入門
  • 162:EPRパラドックス:量子力学再考
  • 164ベルの不等式:量子力学再考
  • 166:[人気No.4]ハイゼンベルグの不確定性原理はキャッチコピー
  • 168:EPRパラドックスの結末
  • 170:ハイゼンベルグの不確定性原理とEPRパラドックスは矛盾?
  • 174:[人気No.2]射影仮説:波束の収縮
  • 176:量子デコヒーレンス
  • 178:ハイゼンベルグ描像
  • 180:正準交換関係の不確定性関係
  • 182:行列のトレース
  • 184:ベルトランの逆説
  • 190:全射・単射・全単射
  • 192:」単射(順列)・全単射(スターリング数)
  • 500:量子言語入門(大学院講義ノート)