20:イデア論:プラトンの詭弁
第20話
プラトン; 理由を付けたがる男
プラトン;イデア界;現実界;二元論;観念論
さて、
において、ソクラテス・プラトン師弟のメッセージは、結局、「Priceless な価値」であり、たとえば、
(A): 「愛」は、「お金」に勝つ
である。
ソクラテス・プラトン師弟ならずとも誰もが、(A)を信じたい気持ちはあると思う。そうならば、我々が知りたいのは、
ソクラテスは「無知の知」で済ましたが、プラトンは「理由を付けたがる男」だった。
そうだとして、
プラトンの言い分はこうだろう:
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イデア論って、おとぎ話みたいで、これが哲学の本流になるとは驚き。イデア論とは、
第4(下)話の「言語ゲームと量子言語」の大きな物語の図の(B3)では、以下のように書いた:
こんなことを主張したい。
プラトン; 理由を付けたがる男
プラトン;イデア界;現実界;二元論;観念論
さて、
- 相対主義(ソフィスト) vs. 絶対主義(ソクラテス)
において、ソクラテス・プラトン師弟のメッセージは、結局、「Priceless な価値」であり、たとえば、
(A): 「愛」は、「お金」に勝つ
である。
ソクラテス・プラトン師弟ならずとも誰もが、(A)を信じたい気持ちはあると思う。そうならば、我々が知りたいのは、
- (A)の理由付け
ソクラテスは「無知の知」で済ましたが、プラトンは「理由を付けたがる男」だった。
屁理屈・おとぎ話・哲学?
そして、(A)の理由付けのために、次のイデア論を提唱した。
イデア論
というのがイデア論。 したがって、地上界は、影絵なのでたまには
この理由付けを信じるかどうかは別として、このアイデア、すなわち、二つのキーワード(=存在, 第17(上)話「存在論」参照 ):
の発見こそ「観念論的二元論」の嚆矢であり、その後の紆余曲折はあるものの常に哲学の本流であり続けた。
そして、(A)の理由付けのために、次のイデア論を提唱した。
イデア論
現実の世界では、「(A):愛はお金に勝つ」をいつも信じてもよいとは言えない。 しかし、別の世界(理想の世界、イデア界)が天上にあって、そこではいつも(A)を信じられる。
つまり、イデア(=真の姿)が天上に存在し、イデアこそが本質的存在であり、地上に存在する形あるものはその影に過ぎない。
というのがイデア論。 したがって、地上界は、影絵なのでたまには
- 愛がお金に負けること
- 正義だけではやっていけないこと
- 善人が不幸になること
この理由付けを信じるかどうかは別として、このアイデア、すなわち、二つのキーワード(=存在, 第17(上)話「存在論」参照 ):
- 現実界とイデア界
の発見こそ「観念論的二元論」の嚆矢であり、その後の紆余曲折はあるものの常に哲学の本流であり続けた。
そうだとして、
- なぜ、こんなおとぎ話が哲学の本流であり続けたのか?
プラトンの言い分はこうだろう:
- 「相対主義(ソフィスト) vs. 絶対主義(ソクラテス)」などいくら問答しても結論が出るわけでない。 一つの規範(=世界観)を提示して、その下で、議論しなければ埒が開かない。 人々が求めているのは真実などではない、 というよりも真実なんか無いかもしれない。 「断言された虚構」 なのだ。 そしてこれこそ 「哲学」 なのだ。

イデア論って、おとぎ話みたいで、これが哲学の本流になるとは驚き。イデア論とは、
- 哲学が「トンデモ理論」になった瞬間
- 哲学が「哲学」になった瞬間
- 哲学が「科学」になった瞬間
(「哲学が科学になったことなど、インドでも中国でもなかった)
第4(下)話の「言語ゲームと量子言語」の大きな物語の図の(B3)では、以下のように書いた:
- (B3):
- 世界記述の言語系列の哲学(二元論・観念論)の歴史は、プラトン以来、いつも暴論・トンデモ理論の類のオンパレードで、 それらが栄枯盛衰を繰り返しながら紆余曲折の迷走していたと思うかもしれない。
- 事実、今日まで哲学は、「恰好付け」 とか「インテリ振るためのアイテム」以上の役割をしたとは思わない。 どうでもよいことに、「悩んだポーズ」をしたりである。
こんなことを主張したい。
